(奇跡のAV企画女優・きこうでんみさ・2)
性に不自由しているオトコは多い。
それを救ってくれるのがAVだ(笑)
いや、笑って済ませる問題じゃない・・・
オナヌーという相手も金も要らない極めつけの手段があるけれども、妄想にも「ネタ」が必要だ。
達人のレベルになると、縄跳びのヒモでもゴム手袋でもシャンプーのボトルでも、
イメージしただけで楽しいオナヌーライフを過ごせる。
だが、一般のレベルでは、どうしてもエロ本とかAVが必要になってくる。
きこうでんみさ の脚の細さは絶妙だ
むちっとしたアンヨが好きな男性にとって、細すぎる足は性欲の対象外になりがちなんだけれど、
これは、かなりソソラレるものがある
ぎりぎりのところで細すぎずに、ぷにぷに感を保っている
オナヌーネタを作るには、こうした絶妙の具象が必要だ
アニメ声に、ときどき素の声が混じるのもいい
コスプレ戦士と素人の境界線に立っているようなところも刺激的だ
生活感が濃すぎても、仮想が強すぎてもエロチシズムは薄れてゆく
たとえば、隠語だ
まったく言わないのも詰まらないし、言い過ぎてもエロが希薄になる
ここで言う希薄とは、慣れっこという意味だ
予期していないところで、きゅうに出てきた隠語は刺激的だ
頭をいきなりピンクの鈍器で殴られたような気分になる(笑)
こっちの世界と、あっちの世界のハザマにこそ、万人が楽しめるエロスがあるのではないだろうか
ぼくが育ったのは、風俗街だった
道路の向こうは赤線(青線)地帯で (売春しているところ)
歩いて1分のところにストリップ小屋があり、
さらに10分歩けば、ピンク映画館があった
このピンク映画館は、一般映画館も併設していて、
夏休みや冬休みには「東映まんが祭り」をやった
『肉体の市場』のとなりで『オバケのQ太郎』が上映されていたわけだ
ぼくの生活フィールドは、物心ついた時からエロスが溶け込んでいた
いや、AVの話だった
風俗の話に戻っている ><:
要するに、世間の皆さまが「人殺し」と言えても「セクル」と言えないのは、身に覚えがあるからだ
身に覚えのない子どもの頃、ぼくたちは平気で「へっぺ」とか「まんじゅう」と言っていた
中学生になって、好きな女の子ができ、その子とセクルする妄想のひとり舞台(つまり、オナヌー)に
立った瞬間から、ぼくは隠語を口に出せなくなった
うかつな事に、セクルをするのはフウ族の人たちだけだと思い込んで育ったんだ
アダルトビデオ はきゅ~ん !
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